◆広州・桂林の旅広州・桂林の旅桂林の川下りで山水画の世界を満喫したくて、 遂に南中国を訪れました。 2007年11月10日から14日までです。 台湾のように温暖で、風光明媚な土地柄。 昔の中国人の言葉=「桂林山水、甲天下」 なるほどと納得してきました。 どうぞ漓江(りこう)下りのように ゆったりまったりご覧ください。 空飛ぶパンダ号♪ 今回、降りてから 初めて気が付いたのですが、 パンダ号に乗っていました。 ANAの中国-日本就航20周年 記念だそうです。 今回は、そういうわけで、 お隣の国、パンダの国、 大きな中国へ行ってきました。 といっても、 広東省の省都=広州と、 山水画で名高い桂林の旅でした。 『あの有名な山水画風景を、 一生に一度で良いから見てみたい』 そういう願いが今回かないました。 では、後ほど。 広州中山記念堂と台北中正記念堂♪ 広州では最初に、中山祈念堂を見学しました。 辛亥革命の孫文を記念して建立された建物です。 昨年訪れた台湾(台北)では、 蒋介石の祭られている中正記念堂で、 白い壁に青い屋根が印象的でした。 内部は柱のない大きな空間が開いていました。 蒋介石の日本における名が中正であったことから、 中正記念堂といわれています。 一方、今回訪れた広州にある、 孫文の中山記念堂は、 同じような形で屋根の色も同じく青。 中山は、 やはり日本にいたときの名前から来た号です。 内部には柱がなく、やはり広い空間。 時代は中国の方が古いのですが、 とってもよく似ています。 そして、孫文と蒋介石は 思想を同じくするいわば同士。 台湾(台北)と広州はかなり近くに位置します。 現地ガイドさんは台湾の説明はなかったのですが、 私はこの不思議な符合に驚きました。 そして、それよりも、 中国で、孫文が、 それなりに尊敬されている様子を見て、 意外な感じと、なるほどとも思いました。 両人共に日本と大きな関係があることも、 すこし嬉しい歴史のヒトコマです。 指絵の妙♪ この中山記念堂の売店で、 指を使って絵を描く職人がいました。 まさにフィンガ-テクニックです。 どうやら、描くのは山水画、 桂林のイメ-ジでしょうか。 ビンの中に描かれた中国♪ 同じく広州の中山記念堂にて、 日本でいう実演販売がありました。 透明ビンの中に描かれた精密画です。 一体どうやって描いたんだろう。 その不思議が解けました。 筆先の曲がった細い筆を中に入れて、 表から見て描いています。 それにしても手先の器用さは、 日本人より中国人の方が優れていると この手の技術を見るたびに思います。 手先の器用さ+気の長さ 両方ないと出来ません(^^)。 中国の交通ポスタ-♪ 中国のサ-ビスエリアにあった 交通安全ポスタ-です。 なんとなく意味がわかるような(^^)。 広州には高速道路は沢山走っていますが、 日本に比較してゆれが大きいです。 車間距離も少ない車が多いです。 帰る途中高速で渋滞に巻き込まれました。 原因は交通事故。 車が横転していました。 高速道路ではバスツア-でも シ-トベルトをしたいのですが、 ついていないんです。 おそろしや~~~(^^;;;。 広州料理名物(子豚の丸焼き)♪ 一人80元で8名そろったらという話で、 広州名物の子豚の丸焼きを、 ふたを開けたら6名のため100元に値上げ。 それでもせっかく中国に来たのだからと、 話のネタに所望しました。 出てきたのが、この写真。 おいおい(^^;;;。 最初は、そのまま出てきて、 次に背中を切って、 食べやすい形にしてくれました。 先に調理済みで、 おいしいというほどではなく、 ほかほかでもなく・・・。 まあ、話のネタにだけはなりました。 異国レストラン夜景♪ このレストランは、 結構有名なところのようで、 世界中の人が来ていました。 異国、舌鼓、夜景 横浜、たそがれ、ホテルの小部屋。 じゃなくって(^^;;;。 異国の夜ってとにかく好きです(^^)。 旅の第一夜は、 ゆっくりと更けていきました。 (誤解のないように、真っ直ぐホテルに戻りました) 大都会「広州」♪ 広州は、珠江沿いに発展した、広東省の省都。 珠江は中国第3の大河。 英語でパ-ルリバ-と言います、 このほうが覚えやすいですね。 広州博物館の五階から眺めた広州の高層想ビル群です。 見事な大都会ですね。 あっという間にこうなってしまったようです。 そのからくりが訪問してすこし見えてきました。 中国では家土地は個人のものではありません。 70年間国家から借用しているのです。 だから日本のように道路や土地を買収することは、 大変な事ではありません。 国が決めると、住民は住んでいる場所を いやがおうにも立ち退かなければなりません。 だから、道路整備や構想ビルへの立替が大変早く 進みます。この広州でも、そのようにして 凄い勢いで街が近代化され、 高層ビル群がにょきにょき出来たのでしょう。 資本主義の権化のような現代中国の都会ですが、 その裏では社会主義が巧妙に機能しているのですね。 広州博物館の石彫刻♪ 広州は戸籍を持つ人だけで700万人、 流動人口(無戸籍人)が約300万人、 あわせて1000万人。 中国で三番目に大きな都市と習いました。 亜熱帯なので、暖かくて、明るく、 活気があり、高層ビルの立ち並ぶ、 発展中の勢いあふれる大都会です。 その一画で、ぽつんと朱塗りの宮殿作りの建物。 その名は鎮海楼。別名、広州博物館です。 あまり大きくありませんが五階建て。 門前に、既に芳しい香が、、。 そう、金木犀の香が立ち込めていました。 中に入ると、古代から近代に掛けての発掘品、 芸術品などが飾られていました。 目の肥えた方に、 どのくらいの価値があるのか 鑑定してもらいたいです。 五匹のひつじが石になった♪ 昔、五匹の羊が石になりました。 それも花崗岩の羊にです。 その後広州は、 羊の街とも呼ばれるようになりました。 それって、羊年の私の町? どうりでどこか懐かしい(^^)。 高さ12m。全岩、黒雲母花崗岩製。 炎のような魅力的な姿形です。 発見!サクマドロップキャンデ-♪ 1945年9月21日。 清太は省線三ノ宮駅構内で衰弱死した。 清太の所持品は錆びたドロップ缶。 その中には節子の小さな骨片が入っていた。 駅員がドロップ缶を見つけ、 無造作に草むらへ放り投げる。 地面に落ちた缶からこぼれ落ちた 遺骨のまわりに蛍がひとしきり飛び交い、 やがて静まる。 野坂昭如の小説、「火垂るの墓」です。 たとえ中国にいようと、 このサクマドロップ缶を見ると、 あの悲しい映画「火垂るの墓」での 蛍の舞を思い出してしまいます。 世界遺産(候補)の廃墟です♪ 翌日、大都会、広州から約130km離れた、 開平(カイピン)へ行きました。 世界遺産候補だそうです。 そこには、1930年代に 米国で一旗あげた華僑たちが、 故郷に建てたリッパな洋風建築の別荘が、 現在ほとんど廃墟と化して 建ち並んでいました。 「この廃墟が世界遺産に??ご冗談でしょう」 正直な感想です。 それよりも、周辺で暮らす 素朴な人々の方に目が向きました。 一昔前の中国の農村の風景がありました。 のんびり草食う水牛は癒しの世界でした。 稲はインデイカ米、もう二期作が収穫済みでした。 ブ-ゲンビリアが輝いていました。 お化粧を落とした本当の南中国を すこし垣間見たようでした。 中国の石屋で見た方解石♪ お土産店に併設された石屋さんを発見。 写真がピンボケですが、 蛍石、鍾乳洞の石(方解石)、 水晶、軟玉などが売られていました。 しつこくつきまとう店員に、 これは翡翠ではなくて蛍石だとか、 こっちが説明するはめに(^^;;;。 で、¥はジャパニ-ズプライス。 ミネラルショ-の数倍の¥で 売られていました。 石はいずれも中国産だと思いました。 面白いことに方解石は 中国でも方解石という名前でした。 尾頭付きの鶏♪ 開平にて地元料理のランチ。 で、出てきたのが色々ですが、 中でも、これは、おっとっと('^^;;;。 ほとんど手がつけられていませんでした。 「食は広州にあり」とは言うけれど・・・ 鶏の頭付きは食欲が減退。 食用に飼育していた鴨肉も出てきましたが、 それほどではなかったですね。 寝台列車で桂林へ♪ 広州からは寝台列車で11時間ほど乗って、 麗しの山水光、桂林へ向かいます。 軟臥と呼ばれ、 4人で一つの個室となっています。 ベッドには仕切りとなるカ-テンがありません。 また、ベッドの間のスペ-スが狭く、 自分達も相ですが、 大きなス-ツケ-ス持参の場合には その隙間に並べるしかありません。 あけるのは外の通路でしか出来ません。 でもお湯が出るので、 持参のお茶を入れて飲みました。 シャワ-設備はなくて、我慢です。 列車は思ったより揺れず、 なんとか4時間程度は眠れました。 良い経験でした。 前夜19時50分発車で、 翌日の7時に桂林に着きました。 6時には目覚めていましたので、 これまた持参の即席味噌汁を作り、 同室の人と一緒にいただきました。 遂に到着した桂林は大きな駅、そして街です。 それもそのはず、桂林は市街域だけで人口70万、 周辺部をふくめた全体では 約200万人の人口を有する大都会です。 もっと田舎を予想していたので、びっくり。 なんと秦の始皇帝から始まったという、 中国でも長い歴史のある街なんです。 昔から山水画のような観光で有名な街だそうです。 その桂林の桂の意味は、 桂(かつら)の木ではなくて、 実は桂=金木犀(きんもくせい)だとか。 この時期、金木犀の香が漂うと聞いてきましたが、 その通り。街のあちこちでよい香が~♪ 最高の時期にやってきました! こちらの金木犀は、日本で言う銀木犀でしょうか? 綺麗な黄色の花ではなく白っぽい地味な花です。 そして、最も有名なのは、 石灰岩が演出したタワ-カルスト地形です。 まさに風の石達、風の花達、風の光達が 総動員で迎えてくれたという印象でした。 象鼻山の朝焼け♪ 桂林の市内観光は、 まずこの象鼻山から始まりました。 石灰岩の岩山が奇景と成っています。 内部に鍾乳洞的な空間ができて、 さらに河川で激しく侵食されて開口した結果、 このような奇景が現れたのでしょう。 象が鼻を水面につけて水を飲んでいる風景です。 朝焼けと子舟を背景に幻想的な姿ですね。 踏み石を撮影しました。 ご覧の通りの石灰岩です。 私の家に転がっている石灰岩とよく似ています。 大理石ではありません。 このあたり一体ほとんどすべてが石灰岩です。 そしてこの桂林の周りの 広大な地域が巨大なカルスト地形。 秋吉台とはスケ-ルもサイズもケタ違い。 グ-グルマップでもご覧になれます。 そのル-ツはなんと、 2-3億年も前の珊瑚礁の成れの果てだとか。 実際に地表に現れてから、 侵食されて山水画を構成したのは、 たった2-3百万年前からだそうですが。 このような不思議なカルスト地形は、 さらに雲南省やベトナムのハロン湾にも見られます。 おそらくつながった地質活動の結果でしょう。 実は中国を中心とするアジア大陸部は、 主に中朝陸塊、揚子陸塊を中心とした 様々な大陸片が衝突して出来上がったと言われます。 その揚子陸塊の南端の地質史の一端が ここ桂林に現れているのですね。 このような大規模な石灰岩地帯が、 珊瑚礁を持つ島(海山)の移動によって 出来上がったとは思いにくいので、 珊瑚礁を地層に含む地域自体が そのまま隆起したのかも知れません。 印豪プレ-トの影響もありそうで、 あとでちょっと調べてみようと思います。 この桂林の絶景は、中国においても、 国家AAAA級=最高級の景勝地と成っていますが、 なぜか世界遺産ではありません。 一方ベトナムのハロン湾は、 海に半ば沈降していて世界遺産です。 その絶景は、もう少し後で登場します。 堯山リフトに大汗(^^;;;♪ 桂林近辺での最高峰(と言っても900m余)の山に 超苦手なリフトで登りました。 足元がス-ス-。 場所によっては50m位上の空中散歩です。 谷間では下を見ないようにしながら、 約20分の我慢リフトでした。 石灰岩の壁が迫っています。 本当に石灰岩の山だとわかります。 このような安心できるような地点でしか カメラ撮影が出来ませんでした。 頂上ではガスにより、期待した 眼下の絶景が見れませんでした。 この写真は竹の根っこを細工したものだそうです。 うまいですよね! 下りです。 下りの方がもっとおそろしかったデス。 何度乗ってもこの様な乗り物は苦手(^^;;;。 七つの星の♪ 桂林の市内にある七星公園です。 この岩山、ミニ桂林です。 そしてお姿が有る生き物に似ています。 そう、「らくだ」なんですね。 さすがは中国、 道路にまで漢字が彫られています。 しかも超達筆! 桂林山水の形成過程♪ どうやら、桂林付近は揚子陸塊の 周辺の大陸棚辺りのようです。ここと北に位置する中朝陸塊がバリスカン造山運動によって衝突しました。 一方南は隣接しているインドシナ陸塊やチベット、 イラン、アフガン、トルコの各陸塊がつながって 揚子陸塊との間に内海(古テ-チス海) を作っていたようですが、 それもバリスカン造山運動によって狭まり、 遂には潰れて消滅してしまいました。 こうして中国の骨格がかなり出来上がりました。 インド亜大陸衝突よりずっと前の出来事です。 その一連の大地殻変動によって、 桂林や雲南やハロン湾などになる 揚子陸塊の南縁部にあった大陸棚が 隆起し陸化したようです。 その後隆起に伴い次第に表面が侵食され、 遂に珊瑚礁の化石ともいえる桂林の 1kmにもなる石灰岩層が露出し、 さらに侵食が進み、カルスト地形が形成された と言うのが現在の説明だそうです。 だから地層がはっきりしていたのですね。 さんご礁を持った海山の沈み込みによる 日本のような石灰岩地帯とは違った出来方です。 だから広大なのです。 なお陸化した後の隆起には インドの衝突も影響していると思います。 コピ-キャラ♪ 同じく七星公園です。 あちらこちらに七色の看板があります。 翌見ると、コピ-キャラが見えます。 やっぱり中国、 著作権意識が低いのでしょうね。 それと七色彩色。 私はこのような安っぽい彩色が どうも苦手なのですが、 中国ではあちらこちらに見受けられます。 これもお国柄?でしょうか。 七星パンダ♪ 今回は飛行機からパンダ君。 ここ七星公園でも予定外に パンダ君がいらっしゃいました。 いつもは一匹ですが、お嫁さんが来ていて 2匹でしたが、別居中との事。 アクリルガラスを介してのため、 見づらくてすみません。 桂林ナイトクル-ズ♪ 桂林には漓江(りこう)と 桃花江という二つの川が流れ、 さらに元は川であったと思われる 4つのつながった湖があります。 あわせて両江四湖といいます。 夜にはこの四湖を巡る ナイトクル-ズが出ています。 中国らしく様々な原色に ライトアップされた建物が浮かび上がって、 それはそれは幻想的です。 様々な世界のミニ風景が展開し、 さらには接近すると建物の中で楽器を奏でたり、 舞踊をする人たちもいて、 さすがは観光の街「桂林」と感心しました。 途中から、胡弓の奏者が出現し、 各国の著名な曲を奏でて、 皆さん口ずさんでいました。 胡弓の音色は素敵です。 「北国の春」はそういえば千昌夫さんが歌い、 中国でも大ヒットした曲でした。 最後には「蛍の光」も流れて、 旅情あふれるクル-ズでした。 世界一の滝♪ ナイトクル-ズの後には、 さらに面白い景観が待っていました。 人工の滝がホテルの裏側で 見学できると言うのです。 確かに、そのホテルの名前は、waterfall hotel。 そして、歓声の聞こえる側に走っていって・・・ 驚きました。 世界一の人工の滝だそうです。 ポンプアップされた大量の水が一斉に 12階のホテルの屋上から流されています。 しぶきがここまで飛んできています。 さすがは桂林、凄い光景です。 観光客を喜ばせる術を心得ていますね。 動画撮影もしたのですが、 掲載方法がわからず、ご想像ください。 桂林の巨大な鍾乳洞♪ 桂林市内にはいくつもの鍾乳洞があるが、 最大の鍾乳洞がここ蘆笛岩(ろてきがん)です。 なんと唐の時代の文字が残っていることから、 唐代に人が入ったことは確かなのですが、 1959年に地元の農民に再発見されるまで、 忘れ去られていたそうです。 かえってそのほうが内部のすばらしい 景観の保全には良かったと思います。 中でも、この写真に映っている場所は 「水晶宮」と呼ばれる大きな池を有する空間で、 通称マンハッタンとも言うそうです。 ガイドさんはミニ桂林とよんでいました。 水面が川下り、石筍が石灰岩の山々ですね。 桂林の中の鍾乳洞の中に また桂林があるというマジックです。 原色のライトアップは ちょっとどうにかして欲しいのですが、 それでもこの鍾乳石による芸術作品、 とにかく凄いです。 人の姿からも大きさがわかると思うのですが、 実際には、ここの空間はまだまだ大きいのです。 中に入ると、よく柱がなくて これだけ広い空間が潰れないでいるなあ というのが正直な感想でした。 日本では阿武隈洞も有名ですが、 ケタが違うという印象です。 いよいよ山水画の中を下ります♪ 山水画の世界で有名な 漓江(りこう)下りです。 秋は水量も減って、流れも静かになり、 ユックリと船は下っていきます。 約5時間半の船旅で途中昼食も 船内でいただきました。 絶景では船の上に上がって眺め、 写真を撮ります。 この日は良い天気でしたが、 ガスがかかっていて、 最高の景色とはいえませんでした。 聞けば、「雨の桂林」といって、 雨によって景色はコントラストを増し、 さらに雲が低く漂う時が 最高の山水画風景となるそうです。 なるほど~ ちなみに、中国での3大景観は 雨の桂林、夜の上海、霧の重慶なんだとか。 そうとはつゆしらず、 来る前に週間天気予報で、 当初雨となっていたのですが、 それじゃ寒いから晴れてくれとお祈りしたのが 間違っていたのかも~あとのお祭り。 まあ、おかげさまで防寒着も 荷物になっただけで良かったです。 山水画の墨汁♪ タワ-カルストの表面をアップで撮影しました。 これが、山水画の墨汁ですね。 新しく剥がれ落ちた岩肌は白っぽいのですが、 そこに、植物が腐敗分解して残留した炭素が 雨水に混じって流れて付着した様子が見えます。 斜め横に走る地層線と交差する黒い流れが 水墨画の迫力そのままではありませんか(^^)。 船の外から売り込み攻勢♪ 中国ではあっちでもこっちでも 売り込み攻勢に出会い、辟易でした。 中には小さな子供からお年寄りまで、 もうつかまると大変です。 なぜか私によくついてくるのです。 いやはや~(^^;;; とにかく、すぐに、「全部で千円!」 「ちぇんぶでしぇんえん」 こちらは川下りの船の外から、いかだに乗って 売り込みに来ています。 ほとんどお笑いの世界で、爆笑ですね。 こちらは、なんと石を売り込みに来ています。 無視すればよいのですが、 ついつい冷やかしてしまいます。(笑) めくるめく山水画♪ 限りなき連なりのシルエット。 山水画が決して誇張でないことが 実物をわが目で見て納得できました。 この山水を背景に何枚写真を撮ったことか。 プロカメラマンも乗り込んできて、 結局2枚撮ってもらいました。 360度周回の動画撮影もしました。 一生心に残る風景の一つとなりました。 陽朔の町並み♪ 川下りの到着点が陽朔県です、桂林市の一部です。 (中国では市の中に県があります) ここにもタワ-カルストが林立しています。 この陽朔の町並みはお土産店を中心に洋風で、 観光客が大勢来ています。 お店の多くは少数民族が経営しており、 民族色の色濃い民芸品が多く売られていました。 私は刺繍の入った額を買いました。 ここでもまたまた 「ちぇんぶでしぇんえん」の来襲。 とにかくしつこいのなんの。 バスに乗るまで波状攻撃です。 台湾ではブ-ヤオ(不要)で済んだのですが、 ここではかえって火をつけてしまうようで、 何度言ってもダメです。 皆さんくれぐれも気をつけましょう。 もっと山水♪ 陽朔近辺にも、山水風景が沢山あります。 バスの車窓にも川下りと同じ風景が続きます。 近くで見ると、本当に仏塔のようです。 これは有名な穴の開いた山。 象鼻山と同じことでしょう。 それにしても奇観ですね! 六溶寺で五体倒地を目撃! 桂林から夜中に飛行機で ふたたび広州へ戻りました。 ここは市内にある古い名刹「六溶寺」。 溶樹=ガジュマルの木です。 その古木が六本、境内にあるので「六溶寺」。 なんともわかりやすい名前です。 写真には写っていませんが、 境内にある九層の高塔でも有名です。 内部には仏像もありましたが、 とても新しいように見えました。 ひょっとして文化大革命により 過去の仏像はことごとく 破壊されたのかもしれません。 修行僧が、ここで五体倒地をしていました。 そのまわりだけ空間が緊張していました。 三歩進むとひざを折り、体を地面につけて 手を前方であわせて祈ります。 ふたたび立って三歩進んでひざを折り、 決してズルせずに自らを厳しく律して ユックリ進んでいきます。 これが五体倒地。 途方もない修行です。 有名なのが、チベット仏教のラサへの巡礼者。 なんと標高5000mのヒマラヤ山脈 ものすご吹雪の舞う中を チベット仏教の聖地「ラサ」に向かって 五体倒地をしながら、 ひたすら亀の速度で歩む巡礼者の姿が きっと今日もあります。 一体何が彼らをそこまで駆り立てるのでしょう? 中国観光をのんびり楽しんでいる、 寄らば大樹の陰の私には、 想像もできません。 苦しい、辛い、痛い、悲しい、 でもひょっとして私より 心が豊かに実っているのか? 幸福感に満たされているのか? まるで生きる意味の根源が 強烈に問われているようです。 ただひたすら頭が下がります。 あ~旅ってやっぱりいいですね! |